「今回は長久手市内を北部から色金山を巡って南東部へと流れる「愛知用水」についてレポートします
このレポートは、長久手市郷土史研究会が昨年夏期から冬期にかけ2回に分け、長久手市西庁舎での「文化美術展」と長久手福祉の家の交流ストリートで各々展示した内容を元に、「長久手タイムズ」的視点でまとめたものです
じつは市民の皆さんが日々使われる上水の水道水は、この愛知用水を流れる水を利用していることはほとんど実感がないのではないでしょうか
愛知用水の水は何処から来ているかと言えば、奥深い岐阜(一部長野)の山中を源とする「木曽川」から来ています
私たちは、長久手からも望める御嶽山系の水、木曽川の水を飲んでいることになります
それも昭和36年(1961)に造られた愛知用水があってのことです
愛知用水がなくては長久手西部や南部、東部の新興住宅地の都市水道もまかなえず、長久手の人口も激増せず発展も遅々としたものだったでしょう
長久手市民にとっても欠かせない愛知用水のことについて少し学んでみましょう

長久手東部前熊の丘陵を流れる愛知用水(後方に現在工事中の瀬戸大府東海線の道路の橋が見える)


「長久手と愛知用水」の企画展示があった長久手市市役所西庁舎

市役所西庁舎3階での「文化美術展」での展示の様子(右側 2025年6月開催)
この企画展示「長久手と愛知用水」は、第一部と第二部の2回に分けて、市役所西庁舎と東部の福祉の家交流ストリートで展示された
今年65年目となった愛知用水

「文化美術展」展示より

色金山近くの愛知用水
愛知用水は、渇水がつづいた知多半島の篤農家の熱い思いから始まった

「文化美術展」展示より

「文化美術展」展示より


「牧尾ダム」 ダムの高さ80m 長久手からも望める木曽御嶽山の山麓に設けられた
コンクリートは用いられず岩と土だけでつくられたダムとしても知られている
ダムの中心部は強力な粘土の壁が造られた
高度成長期、長久手含め尾張東部の発展は「愛知用水」無くして成立しなかった!
愛知用水へと水を取り入れる愛知用水取水口(下の写真)は、牧尾ダムから120km下った木曽川の中流域となる岐阜県加茂郡八百津(やおつ)町に設けられています
また牧尾ダム以外にも、「阿木川ダム」「味噌川ダム」の放流水、加えて木曽川沿川に降った自然水の3つの取水口から毎秒30㎥を取水しているとのこと
「愛知用水 建設の記録」動画(水資源開発機構)

愛知用水神社、愛知用水水利観音堂
場所:知多市佐布里
愛知用水の工事期間中に亡くなられた56名をお祀りするため受益者により創建された
知多半島には大きな河川がなく往古から水の乏しく作物を育てるのが困難な土地柄だった
主神:熱田大神
佐布里には愛知用水の調整池がある
画像:愛知用水神社サイトより
木曽川から愛知用水への取水口がこちら
愛知用水取水口は、関西電力の兼山ダムのすぐ上流にあります
木曽川筋には18カ所のダムがありますが、そのうち12カ所が関西電力が使用し関西に送電されています
1951年の電力会社再編の際、関西に本格的ダムが少なく電力が不足していたためで、現在に至るまで関西電力に編入されています


画像:水資源機構 愛知用水総合管理所サイトより
動画:愛知用水通水60周年水源地探検ツアー(愛知県企業庁)より

「文化美術展」展示より
岐阜県賀茂郡八百津町から知多郡南知多町に至る112キロメートルに及ぶ基幹水路
この基幹水路から分岐する農業用の支線水路はその10倍の1,012キロに及んでいる
愛知用水の水は、離島の篠島や日間賀島まで及んでいます
愛知用水は、知多郡の篤農家の熱い思いから始まった

「文化美術展」展示より

「長久手と愛知用水」企画展示 at 長久手福祉の家交流ストリート(2025年12月展示)

長久手の水道水はどこからやって来ているのか?!
長久手市西半分の家庭には、この巨大な「給水塔」から上水が送られている

トヨタ博物館の裏手側にある横道配水場
丘陵の雑木林の中ほどにあり一般的には場所も含めあまり知られていません。周りには柵があり中には入れませんが誰でも見に行くことはできます
長久手の西部の各家庭の上水はここから配水管や給水管を通って運ばれています
水道水は、配水場・ポンプ場から配水管や給水管を通って各家庭まで運ばれます
長久手市には2カ所配水場があり、もう1カ所は東部三ヶ峯の丘陵の中にあります

市東部前熊の田圃
愛知県農業総合試験場の西部にある愛知用水分水工

農業総合試験場西側の愛知用水

「文化美術展」展示より
愛知用水ができるまで、市内には溜池(調整池)が数多くあり
田畑に引かれていました。現在まで残る代表的溜池
