大河ドラマ「どうする家康」の第32回「小牧長久手の激闘」の放映日と同日に「長久手市長選」の火蓋が切って落とされました。現在58歳の佐野尚人候補は、前回4年前の市長選で当時現職の吉田一平市長に敗退しており、今回2度目の挑戦。市議会議員を辞しての参戦。
佐野尚人オフィシャルウェブサイトはコチラ → http://sano-naoto.com
佐野候補は、ジブリパークの立地自治体であるにも拘わらず、歳入面で市への見返りが余りにもわずかで、1%でも2%でも地元市の方へとお金がまわる方法を探っています。候補がヴィジョンに「長久手市をジブリの世界観で埋めつくす」というラディカルな主張も、前吉田市長時代、立地自治体を通り越してあらゆる物事が決定していったことへの思いが背景にあるのでしょう。
ジブリをモリコロパークに呼び込んだ大村知事、中日新聞元会長の白井文吾氏からすれば、ジブリパークは名古屋城の様に県が誇るスーパー文化施設であり、立地する長久手市だけに恩恵がまわっていくようにする施策は、これまでの様々な打ち出しや方針から出せないのではと考えられる。
瀬戸市の様に数年前から、駅前に高層ホテルを建て、宿泊してもらいながら地元の多彩な陶磁器に触れてもらうといったグランドデザインを描くことはなく、薄い予算の枠内でしか対処できなかったのが現実だろう。
家康の「啼くまで待とうホトトギス」の如し、「(ジブリが)オープンするまで待とうホトトギス」なのだった。佐野候補はそこを突く。第一義的に歳入の拡充なのだと。「啼くかせてみせようホトトギス」。佐野候補は千成瓢箪の秀吉なのだ。
観光は有名スポットをめぐる視覚型観光から流れとしては「体験型観光」へとシフトしてきていると言われている。実はモリコロもジブリパークも「体験型」を兼ね備えている。榊原康政の「赤備え」ではないが「体験備え」なのだ。ジブリはパークとなることで二次元のアニメ内だけでなくなっている。そこからシームレスに周囲へと繋がっていく。
だからこそジブリは、この場所を選んだ。ジブリは「モノ」と同時に「こと」をこそ大切にする。「モノ」の中に「こと」をみる。「モノ」の向こうに「こと」を予感させる。佐野候補の「長久手をジブリの世界観で塗りつぶす」というメッセージは、そうした予感を掻き混ぜたところから湧き上がってきたのだろう。