愛知青少年公園にかつてあった「ロボット館」を覚えてられる方も多いと思います。元々は1970年開催の大阪万博のパビリオンとしてつくられたあの手塚治虫氏がプロデュースしたフジパンロボット館です。
大阪万博閉幕後の1971年に、株式会社フジパン(本社:名古屋市)から愛知県へ、そして愛知青少年公園に寄贈され、移転された経緯があります。愛知青少年公園は、大阪万博と同じ1970年に開園しています。現在のモリコロパークです。
この写真は、愛知青少年公園に移転されたロボット館の風景です。撮影されたのは1980年代かと思われます。1970年開園した愛知青少年公園は、2002年3月に閉園しています。
このロボット館は、1993年に老朽化のため取り壊されています。1971年から22年もの間、子供達も大人も楽しませてくれました。私の記憶の中(とくに中学生時代)でもかつてそれが普通の風景だったので懐かしいばかりです。(画像:中日新聞・愛知青少年公園記念誌より
大阪万博のロボット館の当時の風景。鉄骨造りのアーチが並列した構造の配色は、青と黄色でなく、黒と黄色のシマ模様だった。内部は「ロボットの森」「ロボットの街」「ロボットの未来」の3セクションで構成され、愛知青少年公園には、そのうち「ロボットの街」にあったショー劇場の楽団が移設された。(画像:万博記念公園サイトより)
愛知青少年公園は、高度成長期真っ只中、大阪では大阪万博が開催された1970年11月1日(ジブリパークもおそらくこの日に合わせて2022年11月1日に開演)に開園しています。
青少年公園は、自動車産業が盛んな愛知県に全国から集団就職で集まった勤労青少年たちの健全育成とレクリエーションの場を目的に設けられたといいます。明治100年を記念してのプロジェクトでした。
ロボット館のあった場所には、1996年、愛知県児童総合センター(児童館)が開館しています。現在の姿です。入り口は2階で、ロボットシアターがあるのは1階です。
児童館の奥のプレイルーム。ロボット楽団が演奏する軽快なサウンドと映像が次々に流れてくる。
かつてロボット館の出入り口のあった南西側の同じ場所には花のプランターが置かれてあった。
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