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【鬼武蔵・森長可が改築した大草城】加藤義郎さんに訊く(2)

大草城の馬出から西南郭に当たる土地を見る(下図、城の全容参照)

大草城は、土豪の福岡新助の居城であったが、小牧・長久手の戦いの5年余前に森長可によって有事の備えとして改築された。以降、長久手の戦いで森長可が絶命すまで大草城領主は森長可となり、城代は土豪福岡新助が務めたとされる。改築後、森長可自身は岐阜兼山城に戻っている。

森長可 画:可成寺所蔵
「長湫(長久手)之厄」の文字がみえる
「一代雄師」
森長可は一代の勇者である。

森長可:本姓は源氏。清和源氏の一家系。森氏は、河内源氏の棟梁・源の義家の六男の義隆を祖としている。

西南郭には現在、大きな2本の桜の木がある。長久手温泉「ござらっせ」や大草の交差点辺りからも、春には2本の桜の木がよく見える。

大草城の主郭があった辺りから北北西の方角を望む。遠く白い連山は白山連峰。その昔も美しい景色が広がっていたに違いない。

かつて大草城があった辺りから南方の里山エリアを望む。

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。

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