令和8年の大河ドラマ「豊臣兄弟」が本日からスタート!
今回は、「どうする家康」とちがって、主人公の豊臣秀長は長久手合戦の戦さ場に来ていません(何をしていたかというと、織田信雄の領地だった伊勢へ進軍、後に織田信雄との講和交渉で秀吉の名代として交渉をしていた)
おそらく今回の大河ドラマでは、長久手合戦についてはテロップかナレーションくらいになるでしょう
今回、秀吉が最晩年に催した「醍醐の花見」について少し記してみたいと思います
じつは後に日本人の「花見文化」のはしりとも言われるようになる京都醍醐寺での一世一代の盛大な花見には、弟・秀長は病で没しており壮大な桜の宴に列席することはできませんでした
その醍醐寺三宝院から遥か時空を超えて長久手の地とつながりがあるお寺があります。長湫の豊善院と上郷の三光院です
「豊臣兄弟」きっかけですが、そのことを少しばかり紹介いたします

真言宗醍醐派の古刹三宝院
長久手では珍しい真言宗のお寺である長湫の豊善院と上郷の三光院の本山である
画像:Wikipediaより
上郷大草に建つ長久手の古社・三光院
京都醍醐寺 三宝院に属す

【大草山 大草観音三光院】創建:永享10年(1437)
京都醍醐寺 三宝院を本山とし、寺院としては長久手最古のお寺とされます
大草丘陵の麓に建つ三光院は、城東西国三十三観音33番札場所の最後の寺院<結願寺>でもあります


長久手の真言宗醍醐派の三光院と豊善院の本山は、
秀吉が催した「醍醐の花見」で知られる古刹三宝院
本山醍醐寺は世界文化遺産になっています


画像:共にWikipediaより
醍醐寺三宝院での特別観桜会の様子

国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園
豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際し自ら基本設計をした庭として知られます
画像:Wikipediaより

画像:醍醐寺サイトより
庭園を見渡せる表書院は桃山時代を代表する建造物で国宝に指定されています
盛大な「醍醐の花見」は、三宝院裏手の山麓において催されました
醍醐寺の総面積は、東京ドーム141個分もある壮大な敷地を誇る寺院です
「醍醐の花見」は、九州平定直後に催された「北野大茶湯」と双璧を成す秀吉一世一代の催し物として時を超え知られています


豊臣兄弟 秀吉と秀長(画像:Wikipediaより)
1598年、秀吉62歳で亡くなる年の春に催された「醍醐の花見」の宴
今日の日本人の「花見」の文化は、この「醍醐の花見」から始まったともいわれています
秀長は「醍醐の花見」の7年前に他界(享年51歳)
豊臣秀吉が催したあの有名な「醍醐の花見」はこの醍醐寺三宝院庭園
「三宝院の桜」は京都でも名所中の名所です
花見参加者約1300人のうち9割が女性だったとも言われていますが、秀長も生きていれば同席したことでしょう
残念ながら秀長は「醍醐の花見」が開催される7年前の1591年に他界しています
醍醐寺金剛輪院の院主義演(ぎえん:真言宗の僧)は豊臣秀吉の信頼が厚く、金剛輪院を三宝院と改称して再興
現在も桜で有名な醍醐寺三宝院庭園はその時期に秀吉によって整備されています
院主義演は徳川家康からも厚い信任を受け修験道法度が制定されていきます
長湫にある修験寺院 豊善院
本山は、京都醍醐寺 三宝院

真言宗醍醐派 豊善院
御本尊は延命薬師如来
不動明王、十二神将、秋葉大権現、弘法大師、役行者、さらに「長久手観音」と本堂内に神仏が一緒に祀られています
修験寺院であり、護摩供養の日には、御本尊の前に護摩壇が設置され、祈祷に訪れた個人の願いを込めた「護摩札」や供物が準備されます。供養には真言宗ならではの護摩木が焚かれます
ご住職は、16代佐藤敬宣住職


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