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長久手の”Another World”「北海道・八雲町」❶/長久手初代村長・吉田知行は八雲町を開拓した筆頭の功労者。最後は八雲の地で逝去【Nagakute Times】

まさに北海道、雄大な海岸線と青い太平洋が望めます

八雲町地図:八雲町ホームページより
八雲町:人口約14,000人
 町の西部地区の大半は森林で、海抜1,000⑬を超える山々がある 
遊楽部山(ユーラップサン)が1,277mで八雲で最も高い(1,377mの伊吹山とちょうど100m違いの高山である)

画像:太平洋側(噴火湾)の朝焼け 海の向こうに雄大な北海道駒ヶ岳(1131m. 函館は山の向こう側に位置します)
   Webサイト「アイヌモシリと二つの海」(太平洋側〜日本海側 横断ルート)より引用 

上記サイトのモデルルートのタイムスケジュールでは、太平洋側の部落魚港をスタートし噴火湾パノラマパークなどを訪れ八雲の街並みと太平洋を望んだ後、八雲墓地でアイヌが被害にあった事件を学び、開拓移住上陸の第一歩の地碑を訪れます
さらに八雲町郷土資料館・木彫り熊資料館を訪問、その後日本海側の熊石海岸で日本海へ沈む夕日を堪能

画像:「アイヌモシリと二つの海」(太平洋側〜日本海側 横断ルート)より引用

こちらは八雲町の西側に広がる大西洋
同じ町の中の移動で、朝に太平洋を拝んで、移動して夕刻に大西洋への日の入りを望むことさえできてしまうとんでもない町です





北海道開拓を決意した尾張徳川家当主徳川慶勝は吉田知行を北海道に派遣します。吉田知行らは道南の遊楽部川流域に広大な原生林を見つけ適地として復命。慶勝は即座に遊楽部への移住計画を決定しました。北国の暮らしも、農業も経験したことのない旧藩士に慶勝は何を求めたでしょうか?

徳川幕府が終わりを迎えた激動の明治維新後、

生活に困った尾張藩士たちを北海道に移住させるため、寒さや雪、過酷な自然と闘いながら、現在の八雲町を開拓しました。



『長久手誕生100年』小林元 監修/編集・発行 長久手町 平成18年発行 / 右は初代町長・吉田知行誕生の経緯についての記述

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。 mail address:nagakutetimes@gmail.com

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