「異世界がなくなると木、その地のコミュニティは滅びさる」と現代社会学で語られるとことですが、一千年以上の「時」を超える存在である仏像をつくりだすことは、そしてその仏像が納められる寺院の結界はまさに「この世の理(ことわり)」を超えたものといえます。長久手にはそうした「結界」がまだ数多くあり、それぞれの時代の仏師が創出した仏像が納められています。
そして現代の仏像を作られているのが江場琳觀仏師です。「江場仏像彫刻所」では、「仏像」と「空間」の<融合>を図るため、安置される寺院の堂内全体をも考え抜いた上で、ゆるぎない設計図のもと一体の仏像が創出されています。
長久手のこの地で、世代を超えて日々、仏像が彫られつづけています。先人が創出した粋や技術、姿勢を学び継承するなかで深く研鑽を重ね、最先端の創意工夫と「現代的解釈」は、まさに「現世と仏の世界の邂逅」と言えるでしょう。
お釈迦様の境地が最初に伝わったと語られる場面のこと
「釈迦三尊像」
北海道「大安寺計画」のために江場琳觀仏師が新たに創意した像容。向かって右に摩訶迦葉尊者像と左に阿難尊者像。
釈尊は霊鷲山 (りょうじゅせん) で説法した際、手にもった花をひねって大衆に示した。が、誰もその真意はわからなかった。摩訶迦葉だけは真意を知って微笑んだといいます。「釈迦三尊像」には何が込められているのか。
大安寺の和尚さんがこの場面でお願いしたい、そしてその依頼をあたかも以心伝心で受け取ったかのように、琳觀仏師が心をこめて創り出した場面がここにある。
拈華微笑(ねんげみしょう)とは
「拈華微笑」は、以心伝心で法を体得する妙を示すときの故事。この故事は後に禅宗の起源ともいわれ、禅の公案の一つになっている。
「なぜ、「三尊像」かと言えば、長老的な役割を果たした摩訶迦葉尊者がいなくては仏教教団はまとまらなく(釈迦が亡くなってから教団をまとめた)、またお釈迦様の従兄弟でもあり長年一番お釈迦様の側にいた阿難尊者がいなくては仏教の教典ができなかったかもしれない。
二人は仏教史上それほど重要な存在でした。
お経にある「釈迦曰く、、、」というのは、阿難尊者がずっとお釈迦様の傍にいてよく覚えていたことで、阿難尊者の記憶と存在が無ければ仏教の教典ができなかったかも知れない」話:琳觀仏師
「江場仏像彫刻所」内に設けられた展示室。こちらには江場琳黌大仏師、江場琳觀大仏師が仏像制作の研鑽や研究の上で造像した仏像が20躯程置かれている。
技術の継承と最先端の創意工夫、現代的解釈が「真の伝統」がつくりだされている。まさに両師の信条にふれることができる荘厳な空間である。
「見ているだけで吸い込まれるような台座の水晶のような球は、直径340cmもあります。
天体望遠鏡のレンズを削って極限の透明感を生み出している石英ガラスを置いてみる。そうすることによってクラシックな形の中に「浮遊感」が生まれてくるんです。
この仏像は諏訪湖の近くにある高島城の西方にあり、その空間を曼荼羅に当てはめると阿弥陀如来となり、西方浄土から阿弥陀如来を御堂にお迎えする。
景色の移ろいのなか、<夕焼けに浮かぶような阿弥陀如来>がつくれればいいですね、と言ったら、ご住職が関心を抱いてくれて、この「浮遊感」のある阿弥陀如来像へと行き着いたわけです」話:琳觀仏師
2005年「愛・地球博」での仏像公開制作 :
「1000年スパンのものづくり 仏像と森」
「仏像と森 公開制作」記録写真(提供 江場佛像彫刻所)
仁王像に一心に向かい彫る江場琳観仏師
「愛・地球博」2005 での展示の様子(記録資料)
仏像彫刻について解説する江場琳黌(りんこう)大仏師(当時 江場仏像彫刻所所長)
19年前の琳觀仏師
橋本龍太郎総理大臣(当時)が激励と見学に訪れる
「那羅延堅固王」(ならえんけんごおう) 平成5年(1993) 樟(クス)木地仕上げ 750 × 380 × 230mm
「那羅延堅固王」
寺院の門や須弥壇の左右に安置される仏敵を払い仏法の守護を担う。仁王のうちの阿形像。独尊としては千手観音の侍者となり行者を守護する。写実的に捉えることで逆説的に仏像の特徴を摘もうとした。
「黄不動」(きふどう) 平成13年(2001) 樟(クス)淡彩色截金 580 × 310 × 250mm
滋賀・園城寺、京都・曼殊院に伝わる金色の不動明王の姿。一般的な不動明王と異なり肉身を黄色にあらわしている。火焔光背、弁髪などは無く、下牙の様子も特徴的で飾り各所に鈴を持たせている。極限の難行に臨み自らを戒め導く存在を求め見出したと考え制作にあたった。
「多聞天」平成13年(2005)樟(クス)木地仕上げ 820 × 330 × 280mm
「多聞天」
多聞天は、戦勝神、財富神として信仰を集めている。奈良・興福寺に伝わる四天王のうちの一躯に範が得られた。巧みな構成で装飾された甲冑やドラマチックな天衣の様相は、琳觀仏師によって改変され新たなプロポーションを生み出している。
多聞天はもともとインドでは穏やかな菩薩に近い姿形であったが、中央アジアをへて中国へ伝えられると甲冑をつけた忿怒相へと変化した。
「制吒迦童子(せいたかどうじ)」平成22年(2005) 檜(ヒノキ)極彩色/古色/玉眼 440 × 250 × 230mm
「制多迦童子」は、不動明王の脇侍で、八大同時のうちの一尊である。
高野山・金剛峯寺に伝わる運慶作と伝わる像に範を得ている。金剛峯寺の像は右手に金剛棒、左手に心中の煩悩を打ち砕く密教法具の三鈷杵(さんこしょう)を持つが、琳黌仏師は頭部と胸部のみの胸像の姿形で充実した体躯と腕白さをあらわした。
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