2026年9月20日(土曜)、長久手市西庁舎3階スペースにて、長久手古戦場記念館企画展「森兄弟」に合わせて深掘りの講演会が開催されました
森兄弟の一人、森長可は、長久手合戦で最期を迎えた武将”鬼武蔵”で、可児市にある美濃金山城は誕生地です
美濃の山城「美濃金山城」の歴史と魅力を紹介、解説されたのは、可児市経済交流部 歴史資産課の長江真和さん(主催:長久手郷土史研究会)
織田信長に仕えた森乱(蘭)丸の兄の森長可、そして長可亡き後、弟の一人であった森忠政は豊臣姓を与えられ、秀吉亡き後、家康方与することになり西国で大名となり森家は最盛期を迎えていきます
長久手古戦場記念館企画展「森兄弟」展をよりよく知るために、当日の講演会の一部を共有、記録させて頂きました
長雨の天候が回復した初秋にぜひ長久手古戦場記念館を訪れてみてはいかがでしょう





講師:長江真和さん / 岐阜県可児市経済交流部 歴史資産課 主査
長江真和さんは、発掘調査や埋蔵文化財を担当。令和4、5年の美濃金山城の調査報告書の編集に携わる
「鬼武蔵」こと森長可が城主だった美濃金山城について
1537年〜1600年前後まで存在した東美濃の重要なお城
平成25年、金山城跡が国指定史跡となる
歴史資料などには「金山」と「兼山」と二通りの表記があるがその理由
「金山」の呼び方は、「かなやま」でなく「かねやま」が正解
2013年、国指定史跡になった際に「美濃金山城跡」の表記に統一された


森長可は1558年生まれ。1970年(元亀元年)、13歳で金山城主に
15歳で長島一向一揆、17歳で長篠の戦い、甲州征伐などで武功をあげ、1582年、22歳で信濃の海津城城主に
1584年(天正12年)、「三河中入り」の第2陣大将として参加。長久手合戦で徳川本隊と激しい戦いを繰り広げ(仏が根のたたか)、眉間に鉄砲の銃弾を受け落命(享年26歳)
右図:金山城跡から西方を望む。眼下に木曽川と金山の町、晴れわたった日には奥の山頂に岐阜城が見える


美濃金山城は、現在の御嶽町や伊那市まで甲斐武田氏が攻め込んできていたため武田勢を防御するための東美濃の重要な山城で、
軍事上と木曽川の物流面(陶器や木材を伊勢方面へ)でも重要なお城だった
金山城の始まりは斎藤道三による
尾張国侵攻の足掛かりとして養子の斎藤正義に築城を命じつくられた「烏峰城」(うほうじょう)
鬼武蔵の十文字槍「人間無骨」
江戸時代の参勤交代の際に森家を象徴し掲げられた

レプリカの槍が、長久手古戦場記念館の企画展「森兄弟」で展示中!
可児市も赤穂大石神社の槍の樹脂と金属で複製し所蔵
アクションゲームの「刀剣乱舞」でもよく知られている槍である
現在、長久手古戦場記念館の企画展「森兄弟」で
森長可の「遺言状」がで見ることができます



可児市にある10を数える山城 / 美濃金山城の天守、御殿跡想定図
長久手合戦の14年前
森長可が13歳で金山城主になる(1570)
城主となった森長可は、金山の道や木曽川を活かした川港を整備、城下町の地割を整え金山の町の基礎をつくる
楽市楽座など市場開放・商業基盤を整備。信長を破天荒なだけでなく城主としての才覚もあったといいます
長久手合戦で森長可亡き後、弟の森忠政が金山城主に
羽柴、豊臣姓となる
秀吉亡き後、家康から海津城を賜り大出世
豊臣方→家康方へ
関ヶ原合戦後、西国の津山城主に
さらに出雲、石見、隠岐も拝領され
森家、最盛期を迎える


美濃金山城は森氏が西国に出た後は犬山城主の管理下へ。破城され尾張藩の領地になり御料林に
「一国一城令」が出た後は不要となった周りの城は破城され壊された

森長可最期の地「武蔵塚」(長久手市)