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長久手合戦で散った”鬼武蔵”森長可と兄弟の物語/長久手郷土史研究会・歴史講座「森兄弟誕生地 美濃金山城跡の魅力/古戦場記念館企画展「森兄弟」の連動深掘り講演【Nagakute Times】

講師:長江真和さん / 岐阜県可児市経済交流部 歴史資産課 主査
長江真和さんは、発掘調査や埋蔵文化財を担当。令和4、5年の美濃金山城の調査報告書の編集に携わる

歴史資料などには「金山」と「兼山」と二通りの表記があるがその理由
「金山」の呼び方は、「かなやま」でなく「かねやま」が正解
2013年、国指定史跡になった際に「美濃金山城跡」の表記に統一された

森長可は1558年生まれ。1970年(元亀元年)、13歳で金山城主に
15歳で長島一向一揆、17歳で長篠の戦い、甲州征伐などで武功をあげ、1582年、22歳で信濃の海津城城主に
1584年(天正12年)、「三河中入り」の第2陣大将として参加。長久手合戦で徳川本隊と激しい戦いを繰り広げ(仏が根のたたか)、眉間に鉄砲の銃弾を受け落命(享年26歳)
右図:金山城跡から西方を望む。眼下に木曽川と金山の町、晴れわたった日には奥の山頂に岐阜城が見える

美濃金山城は、現在の御嶽町や伊那市まで甲斐武田氏が攻め込んできていたため武田勢を防御するための東美濃の重要な山城で、
軍事上と木曽川の物流面(陶器や木材を伊勢方面へ)でも重要なお城だった

金山城の始まりは斎藤道三による
尾張国侵攻の足掛かりとして養子の斎藤正義に築城を命じつくられた「烏峰城」(うほうじょう)

レプリカの槍が、長久手古戦場記念館の企画展「森兄弟」で展示中!
可児市も赤穂大石神社の槍の樹脂と金属で複製し所蔵 
アクションゲームの「刀剣乱舞」でもよく知られている槍である

可児市にある10を数える山城 / 美濃金山城の天守、御殿跡想定図

城主となった森長可は、金山の道や木曽川を活かした川港を整備、城下町の地割を整え金山の町の基礎をつくる
楽市楽座など市場開放・商業基盤を整備。信長を破天荒なだけでなく城主としての才覚もあったといいます

美濃金山城は森氏が西国に出た後は犬山城主の管理下へ。破城され尾張藩の領地になり御料林に
「一国一城令」が出た後は不要となった周りの城は破城され壊された

森長可最期の地「武蔵塚」(長久手市)

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。 mail address:nagakutetimes@gmail.com

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