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家康が金扇の馬標を立てた「御旗山」【国指定史跡】の頂きからの景色を眺望!/ 北斜面の樹木の手入れ実施で、家康が上った当時の尾根の様子が見えてきた【Nagakute Times】

北西方面の眺望(桧ヶ根の戦いがあった方面)
秀吉勢の大将堀秀政は、桧ヶ根の戦いで家康の四天王の一人榊原康政らの軍勢を打ち破りました(桧ヶ根の戦)
その情報を得た色金山に布陣していた家康本隊は、香流川を渡りこの御旗山に登り、<金扇馬標>や葵の葉の馬標などを掲げ、喚声をあげ鉄砲の音を轟かせました。戦いで疲弊し家康本隊に威嚇された堀秀政隊は退却を決断。秀吉隊の分断作戦が成功。長久手合戦の勝機を手にします

 眺望を閉ざしていた鬱蒼とした雑木林が間引きされ、眼下の景色が見えるようになりました
 戦国時代、すでに廃城となっていた岩作城がこの方向に見え、その奥に石作神社(色金山から御旗山へと進軍する途中に立ち寄っている)が見えていた

「御旗山」の名称は、家康が秀吉勢(堀秀政軍)を牽制するために、<金扇の馬標>を頂きに立てたことに由来します
馬標(うまじるし)とは、本陣に建てて大将の所在を示す調度・装身具で、家康は金の開き扇を自らの馬標としていました

画像:徳川家の馬標(印)Wikipediaより引用
<金扇馬標>は右から4つ目のもの。右から6番目が銀の繰半月として知られる金扇に並ぶ徳川家の馬標
左から3番目が葵の葉の旗印
「長久手合戦図屏風」でもこのうち幾つもの馬標が、御旗山の尾根の向こう側などに描かれています

久能山東照宮の久能山東照宮博物館に家康公所用として知られる<金扇馬標>が収蔵・展示されています


長久手合戦の地に、地元の人々によって「富士浅間(せんげん)神社」が建立され、後に現在の「富士社」へと建て替えられています
祭神は木花咲耶姫命(コノハナノサクヤヒメ)
創建は元和三年(1611年)昭和45年社殿を大改修、後に火災で消失。1991年、再建。地域の守護神となっています

「御旗山」と刻印された石碑

御旗山(富士社)の鳥居と参道

2つ目の石段の手前から左右の道を辿って頂きに向かうこともできます

御旗山の北側の中腹から山頂方面を望む
山腹は尾根になっているところもありますが、各所かなり急な崖になっているのが分かります

御旗山の頂き付近

山の頂付近から頂まで、巨石が高く積み上げらその上に社が建っています

御旗山、北側斜面 全体的にかなり急な崖と尾根があもふ
基本、住宅地と接する北側麓はフェンスで覆われています

なんと1カ所だけ覆いのフェンスが開いているところがあり、入ることができるようです

フェンスからすぐ前方にあるのは石造りのベンチ
かなり昔から置かれた石造りベンチかと思われます

石のベンチから手入れされた雑木林を少しだけ上った様子
尾根を見つけて歩くと急な崖を登らなくても頂上に至ることができるようです
(*整備された道が設けられているわけでもなく危険でもあるので、ここから上は登らないようにしましょう)

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。 mail address:nagakutetimes@gmail.com

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