「御旗山」は長久手合戦で、色金山から進軍した徳川家康公が、その頂きに<金扇馬標>を立てた場所です
<金扇馬標>や葵の葉の馬標が、山の頂きに立てられたのを目撃した秀吉勢(堀秀政軍)は、桧ヶ根(長久手中央図書館前の地)一帯から退却
岩崎城を落城させてきた池田勝入と森長可軍と、最強の軍監(いくさめつけ)だった堀秀政軍を合流させない戦略がものの見事に功を奏し、家康勢は長久手合戦を優位に持ち込み勝利したのでした
令和6年、7年と山頂付近から山腹にかけて鬱蒼と茂っていた樹木の手入れがなされ、長久手合戦当時、家康が山頂付近から見たであろう長久手の風景を同じ様に眺望することができるようになりました

徳川家康も眺めたであろう御旗山中腹からの眺望(北方)
右端の木立の向こうに家康が陣を張った色金山
丘陵の上に突き出た建物は愛知医科歯科大学
家康が長久手合戦当日(4月9日)、色金山を出立した後立ち寄ったと言われる石作神社は、愛知医科歯科大学の建物の手前の樹林のなかにあります

北西方面の眺望(桧ヶ根の戦いがあった方面)
秀吉勢の大将堀秀政は、桧ヶ根の戦いで家康の四天王の一人榊原康政らの軍勢を打ち破りました(桧ヶ根の戦)
その情報を得た色金山に布陣していた家康本隊は、香流川を渡りこの御旗山に登り、<金扇馬標>や葵の葉の馬標などを掲げ、喚声をあげ鉄砲の音を轟かせました。戦いで疲弊し家康本隊に威嚇された堀秀政隊は退却を決断。秀吉隊の分断作戦が成功。長久手合戦の勝機を手にします

徳川家康が見た長久手の景色(北方面)
眺望を閉ざしていた鬱蒼とした雑木林が間引きされ、眼下の景色が見えるようになりました
戦国時代、すでに廃城となっていた岩作城がこの方向に見え、その奥に石作神社(色金山から御旗山へと進軍する途中に立ち寄っている)が見えていた


家康が金扇の馬標(印)を立てた御旗山の頂き
池田勝入・森長可軍と戦上手の堀秀政軍との合流を防ぐ目的
堀秀政は、<金扇の馬標>を目撃し退いていった
「御旗山」の名称は、家康が秀吉勢(堀秀政軍)を牽制するために、<金扇の馬標>を頂きに立てたことに由来します
馬標(うまじるし)とは、本陣に建てて大将の所在を示す調度・装身具で、家康は金の開き扇を自らの馬標としていました

画像:徳川家の馬標(印)Wikipediaより引用
<金扇馬標>は右から4つ目のもの。右から6番目が銀の繰半月として知られる金扇に並ぶ徳川家の馬標
左から3番目が葵の葉の旗印
「長久手合戦図屏風」でもこのうち幾つもの馬標が、御旗山の尾根の向こう側などに描かれています
久能山東照宮の久能山東照宮博物館に家康公所用として知られる<金扇馬標>が収蔵・展示されています

『徳川実紀』
「金扇の御馬印遥にみゆれば。徳川殿出馬ありしといふ程こそあれ。
池田。森が人数は山際より扇の御馬印朝日にかゞやきをし出すをみて。
すは徳川殿みづから来り給ふといふより。
さあ出んとて金の扇の御馬験を押立て進ませ給へば。
敵は是をみて。さてこそ徳川の出馬有しぞ。」
(東照宮御実紀、小牧・長久手の合戦記述 Wikipediaより)

長久手合戦の地に、地元の人々によって「富士浅間(せんげん)神社」が建立され、後に現在の「富士社」へと建て替えられています
祭神は木花咲耶姫命(コノハナノサクヤヒメ)
創建は元和三年(1611年)昭和45年社殿を大改修、後に火災で消失。1991年、再建。地域の守護神となっています

現在の「御旗山」(長久手合戦当時の呼称は富士ヶ根)の様子 / 御旗山:標高 85.5m
仏ヶ根(古戦場公園付近)から富士ヶ根、桧ヶ根(中央図書館付近)、高ヶ根に至る小高い丘陵は長久手の「中央丘陵」と呼ばれ、古来より信仰の地であった。長久手合戦後は、信仰の地に加え古戦場の地となっています
そのため近くの景行天皇社も含め他の地域ではほとんど残っていない峰々の歴史的呼称が現在に至るまで続いています(「根」とは嶺や峰に通じ、山の頂を意味します)
現在、地元の人々が建てた「富士社」と右に「御旗山」と記された石柱が建つ
国指定史跡:境内地の629坪

「御旗山」と刻印された石碑



御旗山(富士社)の鳥居と参道



2つ目の石段の手前から左右の道を辿って頂きに向かうこともできます


御旗山の北側の中腹から山頂方面を望む
山腹は尾根になっているところもありますが、各所かなり急な崖になっているのが分かります

御旗山の頂き付近
山の頂付近から頂まで、巨石が高く積み上げらその上に社が建っています
家康本隊が上った御旗山の北側麓は
現在、どうなっているのか!?

御旗山、北側斜面 全体的にかなり急な崖と尾根があもふ
基本、住宅地と接する北側麓はフェンスで覆われています

なんと1カ所だけ覆いのフェンスが開いているところがあり、入ることができるようです
なんと石造りのベンチがある?!

フェンスからすぐ前方にあるのは石造りのベンチ
かなり昔から置かれた石造りベンチかと思われます

石のベンチから手入れされた雑木林を少しだけ上った様子
尾根を見つけて歩くと急な崖を登らなくても頂上に至ることができるようです
(*整備された道が設けられているわけでもなく危険でもあるので、ここから上は登らないようにしましょう)