今回、長久手の老舗和菓子店「浅井家製菓舗」の4代目店主の若杉真生さんにお話を伺いました
昭和時代の長久手生まれの方々にとってほとんどの方は生まれた時から「浅井家製菓舗」はすでにあって、気づいた時にはおやつとして「古戦場もなか」を頬張っていたのではないでしょうか
また多くの新住民の皆さんにとっては、長久手温泉「ござらっせ」や「あぐりん村」、オープンした「長久手古戦場記念館」、モリコロパークの「日本庭園」内の「香流亭」など各所で「古戦場もなか」を見かけたりご購入されたことがあるのではないでしょうか
「浅井家製菓舗」のヒストリーに少しばかり分け入ってみましょう
手に取った繊細な和菓子を頬張ったとき、時空を超えて何かとつながるような感覚をもつのではと想います!



終戦の年、戦場から引き揚げてきた曾祖父が、餡子(あんこ)
だけを売り歩いたり卸したりしたのが始まりです

「浅井家製菓舗」四代目店主の若杉真生さん(1999年生まれ)と祖母の浅井豊子さん
若杉というお名前は、尾張旭の三郷にある母方の実家とのつながりから
三代目店主はお父様の若杉勝文さん
「浅井家製菓舗の起こりは、ひいお爺さん(曾祖父 そうそふ)の代になります。
終戦の年、戦場から引き揚げてきたひいお爺さんがその年の夏の終わりか秋頃、餡子(あんこ)を取り扱いはじめました。
まだ「和菓子」ではありませんでした。まだお店もなく、現在の図書館通り沿いのラーメン鶴亀堂さんの近く(石田の交差点の北寄り)に住居がありました。ひいお爺さんはそこであんこだけを売っていたと聞いています。
実際にはその場所で小豆を調達しあんこをつくり、欲しいという声をきけば売り歩いたり卸したりしていたと聞いています。
戦中から終戦直後にかけ食事もままならなかった時代ですし、甘味となればなおさらでした」若杉真生さん談

創業年のこと
「4、5年前のこと、とあるお客様から、現在のこの場所とは異なる場所で、曾祖父の浅井秀信が「餡子(あんこ)」を売り始めた時のことをお聞きしました。
この場所以前のことは実は私どもも知らなかったんです。お話しを色々確認していきまして、終戦の年に曾祖父が「餡子」を売り始めた昭和20年(1945)を浅井家製菓舗の創業年とすることとしました。
よって今年2026年は、創業81年となります」若杉真生さん談
(左の写真:店舗横の倉庫)
人口が1万人突破し、町制施行した7年後
昭和53年(1978)、新装オープンした時の写真

建て替えでオープンした浅井家製菓舗
現在の木造建築と異なり、1970年代当時では珍しいモダンな鉄筋コンクリートの店舗だった
最初の店舗は、伊勢湾台風(1959年)で壊れてしまったとのこと。鉄筋コンクリートの店舗になるまで幾度か建て替えられたとのこと
1978年当時、浅井家製菓舗のすぐ前に信号機が立っていました
浅井家製菓舗からイオン長久手に向かった最初の交差点である「御富士」交差点は、当時まだありませんでした
上の写真の奥方向に長久手中学校の正門があります

現在の店舗近くに立つ電信柱に掛けられている当時の店看板。長久手町商工会
当時の電話番号の「2ー」だったのが思い出されます
この電信柱は、位置的に上の写真の信号の奥に立っている電柱と思われます

新装開店にあたり多くの献花が立ち並んでいます(長久手中学校側から西方面を望む)
信号機の奥に、小牧・長久手合戦の際、徳川家康が金扇の馬標を立て勝利を引き寄せることになった「御旗山」(国指定史跡; 戦国時代は「富士ヶ根」と呼ばれていた)が見えます
店舗の奥には家康が金扇の馬標を立てた「御旗山」(富士ヶ根)
左に道をとれば「長久手合戦」の激戦地となった
仏が根の「古戦場公園」
まさに「古戦場最中」発祥の地!

左からお婆さんの浅井豊子さん。そして中央に曽祖父の浅井秀信さん


店内にも溢れかえる開店お祝いのお花 / 店頭に立つ浅井豊子さん 天井からもお花が咲き誇っています


創業10年か20年後か、昭和30〜40年代から販売していた
浅井家製菓舗の代名詞「古戦場最中(もなか)」
半世紀以上にわたる歴史をもつ
”長久手名物”の形は、刀剣の「つば」がモチーフ


長久手名物「古戦場もなか」(粒餡と柚子餡の2種)
通常のもなかの形と異なり、近くの長久手合戦場に因み、「刀剣」の武具の一つの「つば (鐔・鍔)」の形がモチーフになっています
(つばは、「刀」の柄と刀身との間に挟み手を防御する武具・部位)
「つば」は、日本刀に付属する「拵」(こしらえ)のなかでも美術的価値が高いとされています

長久手の戦いでは、秀吉軍の死者2500余人、織田・徳川連合軍の死者590余人と言われており、戦さ場には累々とした屍とともに数多の「刀」が「つば」と共に散乱していたことでしょう
終戦直後、餡子(あんこ)職人として、餡子を心も体もからからになった長久手村の人々に届けはじめた浅井屋製菓舗の先人の想いを想像すると、「古戦場もなか」の姿形には、戦さ場で命を落とした武士たちを偲び、ともに甘味を味わい和むという思いがひっそり込められているのかも知れません
戦場の「つば競り合い」でなく、心と味覚をなごやかに満たす「和菓子」として今は仲良く並んでいます
戦国期、江戸時代初期からか400年以上の歴史がある長久手の警固祭り
警固祭り(岩作のオマントウ)に馬引きで参加し続けた祖父の浅井伸行さん

岩作のオマント(警固祭り)で馬を引くお爺さまの浅井伸行さん(右) 1970年代後半当時


ひな祭りに食べられる愛知の郷土菓子「おこしもの」専用の鶴の型
「浅井家製菓舗」でも他に「海老」「鯛」「筍」など多くの伝統的な型を用いて「おこしもの」を提供してきています

「浅井家製菓舗」裏手にある日々和菓子がつくられている作業場
朝早くに家族4人とスタッフの方々も次々に来て、それぞれの持ち場で手作業で丁寧に和菓子をつくりだしています


2021年に新たに商品に加わった「合戦わらび餅」(3代目・若杉勝文さん考案)
黒糖(徳川家康)と抹茶(豊臣秀吉)の2色を合戦のように掛け合わせたわらび餅
カップを刀剣のように振り下ろすことによってきなこをまぶして食して欲しいとのこと

Welcome 長久手!
長久手古戦場公園・記念館にお越しの際には、どうぞお立ち寄りくださいませ
後日、「浅井家製菓鋪」❷を公開いたします!
「浅井家製菓舗」オフィシャルサイト
住所:長久手市権田4-1 9:00~18:00 (定休日・水曜)